84才の時に左大腿の悪性線維性組織球腫(MFH)という肉腫のため、左下肢切断術を施行された患者さんがおられました。手術後は片足となったため、車椅子を中心とした生活になりました。ご高齢ですが、頭も口も御達者で、非常にシャキシャキされた方でした。
その脚の手術から1年後、左肺に直径2.0cm程の転移病巣が出現しました。この時点で転移の個数が1個だけであったこと、腫瘍のできた場所が比較的切除しやすい所であったこともあり、御家族との相談の上、ご高齢でしたが胸腔鏡を使用した肺部分切除術を行いました。術後は経過良好でその後も外来で経過を観察していました。しかしながら、肺の術後から半年後です。肺のCTで新しい前回よりも大きな病変が肺に出てきました。
「うーん、出てきたか・・・増殖速度も結構速そうだな・・・」
外来で胸部CTを見ていた私の表情から察したのか、
「先生、また手術ですか?」
お嫁さんが尋ねます。
「新しい、肺転移巣が出てきましたね。大きくなる速度も少し速いようです。あと、今後ほかにも新しい病変が出てくる可能性が高いと思われます。年齢的なこともあり、手術は止めた方がいいでしょう。お勧めできません、切られ損になります。」
「お薬での治療はどうでしょう?」
「悪性線維性組織球腫(MFH)は抗癌剤、放射線治療に殆ど反応しません。やり損です。」
「では、どうしたら?」
「残念ですが、年齢などを考慮するとおばあちゃんに対して提供してあげられるお勧めの治療を思いつきません。私見ですが、医療の目的が「良い時間を一番長く」と考えると、「何もしない」というのも質の高い生活時間を確保できうる「治療法の1つ」と考えますがいかがでしょうか?」
「そうですね、おばあちゃん、年齢も年齢だし・・・、それに、脚の手術で車椅子生活になっちゃったことを考えると私たちもそう思います。これ以上いろいろやるのは可哀想です。ところで、おばあちゃんは、あとどれくらい生きられますか?」
「ヒトの寿命は神様にしか分かりませんが、半年を「覚悟」の1単位として考えられたらいかがでしょう?つまり、半年経ったら、つぎの半年の間に亡くなられるかもしれないという形で心の準備をするのです。いずれにしろ、だんだんと体は弱っていかれると思います。」
こうして、「何もしない」方針で経過をみることとなりました。
その後は、病状の進行状況の確認を定期的におこない、その度に外来で本人にはその日に撮影した画像を指さしながら、
「心配ないですね。大丈夫!このまま百歳まで行きましょう」
等と説明し、その後お嫁さんだけに改めて画像のキチンとした説明をするという外来診察になりました。
そのうち、対側の右肺にもさらに転移巣が出現し、徐々に大きくなります。すぐに新しい転移巣が出てくるであろうという予想は当たりました。いずれにしろ、残された時間は少ないであろうと判断し、今後、病状が進行し、何らかのガンによる症状が出てきた際に診て頂けるよう、自宅近くの医療機関に紹介状を書きました。いつも付き添ってこられるお嫁さんに
「電話で構いませんので、何かあったら病状について連絡を頂けますか?」
と約束をして、その後は近医で診て頂くこととなりました。
それから、約1年が過ぎたころ、そのお嫁さんから電話がかかってきました。
「先生、お久しぶりです。」
「嗚呼、そろそろ亡くなられたのかな?」
と内心思いましたが、次の言葉にチョットびっくり。
「あの・・おばあちゃん、ますます元気なんですけど・・・、食欲もあって凄くよく食べるし・・・。ホントにガンは進行しているのでしょうか?主人が本当にガンがあるのかもう一度、先生に聞いてこいって言うのですが。」
私は内心、ご本人がお元気であるということは良いことだ・・・でも腫瘍はすでに相当大きくなっているはずだが・・・それに、さらに新しい病変も出ているかもしれない・・・治療にはつながらない検査だからご本人には申し訳ないけど、画像で是非確認してみたい、と思ったため久しぶりに胸部CTを施行しました。
画像を見て、「へぇー」と感心。実は予想していたよりも良かったのです。「右肺野の転移巣はそのわずかに増大、左肺野の転移巣も増大傾向にあるものの、臨床的に悪さをしてくるのはまだ先だ・・新しい病変も無い・・」といった所見でした。
とっさにGomperzian 腫瘍増殖曲線(図)を思い出しました。
Gompertzian 腫瘍増殖曲線とは、腫瘍の増殖速度は一定としたモデルとは異なり、腫瘍増殖速度はS字型の曲線をとるとするものです。 Gompertzian 腫瘍増殖曲線においても腫瘍の総重量が1000gになるとヒトを死に至らしめるというのは変わりません。
さて、この曲線を見るとガンの自然史の中で最初と最後は増殖スピードが低下しています。
多くの場合は、化学療法や放射線治療といった治療の影響のため臨床的に腫瘍増殖の本来の像は分かりにくいことが多いのですが、この方の場合、他の治療法の影響を受けない「何もしない」治療であったため、純粋に「最後のところでこの腫瘍は増殖速度が落ちたのかな。」と思い、Gompertzian曲線が頭をよぎったのです。
なにはともあれ、ご本人が担癌状態でも元気に暮らしているという事実は嬉しいものでした。
「転移性肺ガンであることは間違いありません。ただ、予想していたよりも増殖スピードが遅い・・というよりゆっくりになっちゃったのかもしれません。私の当初の見立てが外れたようです。嬉しい誤算です。まぁ、このまま行きましょう。「良い時間を一番長く」という方針はそのままですよ。」
お嫁さんが私に言います。
「先生、おばあちゃん、これからもまだずっと長いのかしら。私、おばあちゃんの介護に疲れちゃいましたわ。」
「えっ?介護疲れですか?あはは、患者さんが元気に長生きして、クレームが付いたのは初めてです。」
お互い、冗談を言いながらニコニコです。
ホントにキャンサーワールドはミステリアスです。
