がん手術

2007年7月

「産後の肥立ち」と「術後の肥立ち」

現時点の医学において、手術ががんに対して最も有効な治療法であることは事実です。適応に問題がなければ、唯一根治を望める治療法ですから。手術を含め、全ての治療法には長所と短所があります。手術が使い方を間違えなければ、癌に対して最も有効な治療法とはいえ、そうでなかった場合は、取り返しのつかないことになることもあります。

手術は万能ではありません。「この癌切るべきか切らざるべきか」、の各論はここでは省きます。まずは、癌手術の全体像をつかむことが大切です。

手術は女性のお産と似ています。女性は大変な体力を費やし消耗する出産という一つめの山と、出産後の母体回復という二つめの山を越えて出産前の状態に戻っていきます。手術も手術行為そのものが一つめの山、術後の体力回復時期が二つめの山、となります。私は、術後の回復時期を「産後の肥立ち」に引っかけて「術後の肥立ち」と呼んでいます。

この2つの山について捕捉します。 まず、一つ目の山である手術行為そのもの。たぶん患者さんや家族の方が一番気にする部分です。がんになって、手術を受ける場合、多くの人は一生に1回きりです。一生に一度のがん手術、やっぱり心配です。

「がんは取れるのかしら。取れたのかしら?・・・」
「手術は大丈夫だろうか?」
「安全に、無事に終わるだろうか・・・」

最近のがん手術は、画像診断の進歩のため手術の適応となる症例をかなり厳密に絞り込めるようになってきています。つまり無駄な行う必要のない手術を省くことができるようになりました。また、緊急手術と違って、がん手術の場合、手術の設計図は画像診断を通して既に出来上がっていることがほとんどで、術者は手術の90%以上のシュミレーションが頭の中で終了しています。後の10%が実践という訳です。

さらに、手術室は病院の中で一番「安全」な場所です。なぜなら、患者さんは心電図を始めとする様々なモニターでバイタルを厳重に監視され、さらに主治医、麻酔医、看護師など医療従事者が一番、患者さんの身近にいる空間だからです。

こう考えると、一般的には全身麻酔による癌の切除手術は非常に安全に執り行われています。全身麻酔の下、解剖学的にがんを取り除くことはそれほど難しいことではないことが多いのです。患者さんが手術で向かえる一つめの山は確かに山ですが、比較的安全に超えることができることが普通です。手術は、本来は二つめの山の方にもっと目を向けるべきです。

手術という行為は見方を変えると患者さんが医者と同意の元に、ケガをしに行くようなものです。ケガをしたら、ケガから治る時間が必要です。指をナイフで切ったら、絆創膏貼ってあとは治るのをじっと待っていますよね?そういう意味では、手術後は、病人というよりケガ人です。

ですから、ケガを癒やすための二つ目の山、「術後の肥立ち」を乗り越えて、元気に退院してお家に帰って、初めて手術はひとまず「終わり」なのです。手術の全体像は「ふた山」超えてお家に帰る、という図式になります(図)。一つめの山、つまり、どんな手術が行われるのか、ちゃんと病巣が取れるのかといった内容ももちろん重要ですが、以外に皆さん、「術後の肥立ち」には関心が薄いように思います。手術のホントの「キモ」はふた山めです。

手術はふた山超えてお家に帰る

お年寄りと「術後の肥立ち」

「術後の肥立ち」が問題となるのは、特に高齢者の手術でしょう。 昔は、70歳以上の高齢者の患者さんの全身麻酔によるがんの手術は危険だから行わないという時代があったと聞きます。しかしながら、その後の外科手技・道具の進歩、特に全身麻酔の進歩により、現在では70歳代の手術は当たり前、80歳代でもお元気なら可能、さらには非常に稀ですが100歳の乳がんの手術なんてのも噂に聞いたことがあります。医学の進歩が高齢者の手術を可能にしたと言って良いでしょう。

医学の進歩により、安全に病巣を「切除する」ことが出来るようになりました。しかしながら、ヒトが「手術」という「ケガ」に対して抵抗力がついた訳ではありません。同じケガをしても若い人とお年寄りでは回復の度合いが違うのは当たり前です。

がん手術は術後も術前と同じ生活ができることを前提として行われます。ところが、高齢者の手術で術後の肥立ちが悪く、癌は取れた、でも歩けなくなった・寝たきりになった・死んじゃった、てのは今でも決して少なくありません。手術をしない方がずっと元気に生きられることもあるのです。手術はやったら元に戻りません。やらなきゃよかった、と後悔先に立たずデス。

前述しましたが、癌を解剖学的に取り去るは医学の進歩によりたいした問題ではありません。むしろ、高齢者の手術では「術後の肥立ち」を十分考慮することの方がはるかに大切です。年老いた本人が手術を渋っているのを、息子・娘さんが言いくるめて手術に至る状況も珍しくありません。「老いては子に従え」、とばかり子供さんに手術を押し切られます。

年老いた、父親、母親のがんをただ闇雲に解剖学的に取り除くことが必ずしもいいこと、親孝行ではありません。癌は手術で取らなくてはいけないという、先入観を状況に応じて捨てることです。ヒトは、いつかは亡くなるものです。一生の最後の時間帯の質を手術により低下させることにならないか、じっくり考えてください。医療の目的である「良い時間を一番長く」の原点に立ち返るのです。

では、何を指標にして高齢者の手術適応を考えていけばいいのでしょうか。細かく見ればいろいろありますが、外科医は、術前の患者さんのパフォーマンス・ステータス(perfomance status; PS)を重視します。パフォーマンス・ステイタスとは日常生活や労働などをどの程度行えるかという全身状態の指標で、紹介すると次のようになります。

  • PS0 無症状で社会活動ができ、制限を受けることなく、発病前と同等にふるまえる。
  • PS1 軽度の症状があり、肉体労働は制限を受けるが、歩行、軽運動や挫業はできる。例えば軽い家事、事務など。
  • PS2 歩行や身の廻りのことはできるが、時に少し介助がいることもある。軽運動はできないが、日中の50%以上は起居している。
  • PS3 身の廻りのある程度のことはできるが、しばしば介助がいり、日中の50%以上は就床している。
  • PS4 身の廻りのこともできず、常に介助がいり、終日就床を必要としている。

つまり、PSの評価は、極論すると「寝たきりか否か、もしくはその程度」とすることが出来ます。

ですから、イメージだけでさらに簡単に書くと

  • PS0 元気。問題なし。
  • PS1 少し問題あるけど、まぁ元気。
  • PS2 ちょっと、寝たきり。
  • PS3 結構、寝たきり。
  • PS4 完全寝たきり。

となります。
端折り(はしょり)すぎだと怒られそうですが、これくらいの方が分かりやすい。癌手術に関してはPS0、PS1は青信号、PS2は黄色信号、PS3、4は赤信号です。黄色信号は結構判断に困ります。さらに、お年寄りの場合、認知症(痴呆症・ボケ)の有無は手術適応を決める際に重要です。PS2の場合は認知症の度合いを考慮しながら適応を考えます。

いずれにせよ、高齢者の手術にあたっては十分に主治医と話し合って「切るべきか、切らざるべきか」を検討してください。繰り返します、医療の目的は「よい時間を一番長く」、です。