最近、胃の調子が悪いと私の外来を受診されため、私が胃カメラを行いました。すると、胃の出口に近い方、幽門部といいますが、そこに2cm大の潰瘍を伴った病変を認めました。病変の顔つきから「悪性腫瘍だ」と思い生検を行ったところ、「悪性リンパ腫」と病理学的に診断されました。全身検索ではリンパ節転移を含め、画像診断上、転移は認められませんでした。
胃の悪性リンパ腫の一部は、ヘリコバクター・ピロリという細菌が病態に関係していることがあり、胃の中にこのピロリ菌が居るときは、治療としては、まず第一に抗生剤の内服による除菌を行うことがあります。この方はそのヘリコバクター・ピロリ菌が陰性であったため治療はそのまま切除術がいいと判断しました。
そこで、「胃に少しタチの悪いオデキができているようです。今なら、胃を1/2から2/3切除することになりますが、手術で治すチャンスです。頑張って手術をしましょう。」
と申し出ました。
年齢は70歳を超えているとはいえ、現在70歳を超える方の手術は珍しくありません。むしろ、麻酔技術の進歩により、高齢者でも全身状態が良ければ、安全に手術が受けられるようになったと言っていいでしょう。総じて、この方の場合、御高齢ではあるものの手術を躊躇する理由を見いだすことができませんでした。
当時、私は医師になって6年目くらいだったでしょうか?胃切除術に必要な解剖・手順・手技はすでに頭に入っており、後は実践を積み重ねるだけという、とにかく手術がやりたくて、やりたくてたまらない「メスハングリー」の“お年頃”でしたが、それを差し引いて考慮しても、今の私でも同様の状況であれば切除術を勧めるでしょう。
「手術をお願いします。」
という言葉を予想していた私に予想外な返事が返ってきます。
「先生、私はもう十分トシです。後はお迎えを待つ身ですから。子供たちにも私のことで心配をかけられません。だから、このまま何もやらないでいけるところまでいった所で“お迎え”を待つことにします。」
「えっ?いや、今なら手術をするタイミングも非常にいいと思われますし、治療法として手術が最適と思われます。仮に手術をしないとしても、何も治療しないことの方が逆に子供さんに心配を掛けることになるのではないのですか?」と、何とか治療を受けるように説得を試みます。
しかしながら、ご本人の意志は固く、手術はもちろん、治療そのものに対する同意を頂くことはできませんでした。
「その内、気が変わるかもしれない。」と思った私はその後、頻繁に外来で顔を合わせ、その度に
「どうです?治療はどうされますか?」
「治療をさせてもらえませんか?手遅れになりますから。」
等と問いかけましたが、頑として治療を受けようとはされませんでした。
この方も定期的に胃カメラで経過観察だけはさせて頂きました。始めは小さな潰瘍底を形成していた病変ですが、徐々に胃粘膜が白っぽく変化し壊死を呈していきます。その壊死部分が胃粘膜の表層を這うように広がり、その壊死領域を胃の内腔に広げていきます。
最初に病変を発見してから1年4か月ほどが過ぎたあたりからドブの臭いの様な口臭がしてきました。胃の粘膜の壊死が進行しているためと思われました。また、このあたりから、食欲がめっきり無くなって、もともと細かった身体がさらに細くなっても来ました。
外来で
「先生、多分もうすぐだと思うよ。ホントにお世話になったねぇ・・」
「お迎え」が近いという意味です。返す言葉がありません。無理矢理にでも手術しておいた方が良かったのではないか?など今更のように思ったりもしました。
それからしばらくして、その患者さんは入院されました。身体がかなり衰弱し、食事が殆ど摂れなくなったため、点滴治療を行う為です。一般に、野生動物の世界では口から食事・水分が摂れなくなると、基本的には個体の死を意味します。医療の現場ではさすがに完全放置とは行きませんので点滴による水分補給を行いました。
そして、亡くなられる、3日前位でしょうか。患者さんの中には御自分の死期を正確に予期される方を時折見受けますが、この方も御自分の死期を悟られたのでしょう。回診時に、
「先生、有り難うね、迷惑かけたね。有り難うね」
と言いながら、私の手を握ります。
「よく頑張ったと思います。それに迷惑なんてこれっぽちも思ってませんよ。」
私は結局、「何もしなかった」訳ですから、「有り難う、迷惑かけた」と言われて戸惑います。でも、はたと思いました。
「自分の死生観・死に方を見守ってくれた、あるいは受容してくれたことに対する「有り難う」あるいは「迷惑かけたね」なのだろうか。」
しかしながら、よく考えると私の方こそ彼女に対して「有り難う」なのです。
彼女の胃悪性リンパ腫の発見から亡くなられるまでの約1年6ヶ月、臨床家として非常に貴重なことを学ばせて頂いたことに気付きます。胃悪性リンパ腫の多くは外科領域においては切除術を行うことが多いため、全く無治療で“自然史”が観察出来ることはまず有りませんし、個人的にも聞いたことがありません。その、胃悪性リンパ腫の発見から“自然史”を観察させて頂いたという希有な経験に対して医師として感謝してやみません。
また、この方からは「お迎え」という言葉の「使い方」を教えても頂きました。我々医師は、臨床の現場で患者さんの死に直面することが少なくありません。私は福岡の実家の病院では在宅医療にも携わっていましたが、高齢化社会を迎え、今後もヒトの死に直面する機会は増えてきます。ところが、「死ぬ」「亡くなる」と言った言葉が、なかなか患者さんご本人や家族の方々に面と向かって言いにくいことがあります。表現が直接的に聞こえることがあるのです。私は最近「お迎え」という言葉を日常診療でよく使います。「お迎え」という言葉自体は、もちろん以前から知ってはいましたが、
「いつ頃から私はこの言葉を臨床の中で使うようになったのだろう?」
と思いを巡らすと、彼女との臨床経験を通して、生きた「臨床の中の言葉」として私の中に入ってきたようです。 「お迎え」という言葉は辞書には臨終の時に、仏が人を浄土へ呼ぶために現れること、となっていますので本来は仏教徒に対して使う言葉なのでしょう。しかしながら、「お迎え」という言葉は本来の宗教的な意味合いを超えて、日本人相手であれば宗教の違い・流派を気にせずに使える「臨床言語」としていいように思われます。
「お迎え」という言葉に対しては今でもその方の顔が頭に浮かびます。医師は常に患者さんから学ばせて頂いている。そういう意味で、忘れられない患者さんの1人です。
