自家がんワクチンはなぜホルマリン固定標本を使用するのか?|がんの外来治療(腫瘍内科・緩和ケア内科)と内科・外科・呼吸器科の銀座並木通りクリニック

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自家がんワクチンはなぜホルマリン固定標本を使用するのか?

~がん抗原ペプチド・ネオアンチゲンの考察も含めて~

自家がんワクチン療法に関する、『ホルマリンで固定したがんの標本からどうしてワクチンが作れるのですか?生(なま)の標本でなくていいのですか?』という質問に対して、講師医学生の会話形式で説明を進めてみました。

医学生:えー、疑問なのですが・・・がん抗原を治療に利用するときに、切除したばかりのがんや冷凍保存していた生標本から取り出したものを利用するのはわかるとしても・・・それに比べてホルマリンに漬けた標本やパラフィン包埋ブロックって、言わば“がんのスルメ”みたいなものですよね?スルメから取ったがん抗原って干乾びちゃって治療に使えないんじゃないですか?

講師:なるほど、もっともな疑問です。生のイカはいいけど、乾いたスルメは使えないでしょ?ってことやね。この点については多くの医師からも同様の質問を受けるところなのだが、つまるところ、“スルメ状態のがん組織でも治療に使えるがん抗原はバッチシありますよ”というところが、まさに自家がんワクチンの“キモ”の部分なわけだ。
ここで、君の疑問に対して証明すべきことは、『ホルマリン固定したがん細胞から誘導された細胞傷害性T細胞(以後CTL)がちゃんとがん細胞を殺すかどうか』ということなので、1998年に報告されたセルメディシン社の研究内容を紹介しよう。(参考文献)
結論を言うと、『ホルマリン固定した細胞上で、がん特異的CTLの誘導培養に成功したよ』というものなのだが、この基礎研究からセルメディシン社の自家がんワクチンの開発が始まったといっても過言ではない。下図を見ながら研究手順を見ていこう。

【参考文献】Kim, C., Matsumura, M., Saijo, K., Ohno, T.*: In vitro induction of HLA-A2402-restricted and carcinoembryonic-antigen-specific cytotoxic T lymphocytes on fixed autologous peripheral blood cells. Cancer Immunol. Immunother., 47: 90-96, 1998.

医学生:なんか聞き入っちゃいましたが、話の流れから察するに、ホルマリン固定細胞上で誘導されたCTLは、CEAを発現しているがん細胞を実際に殺すことができたのですね?

講師:うむ。実際、次のグラフに示すように、ホルマリン固定細胞上でCTL(細胞障害性T細胞)はしっかりとCEA(がん胎児性抗原)特異的にがん細胞を殺してくれた。

医学生:えっと、グラフの縦軸が“生存している標的細胞(がん細胞)の割合”ということは、がん細胞を殺すことができれば、その割合が減り、殺すことが出来なければ横ばい・・・・そして、横軸はがん細胞を殺すために加えたCTLの量ですから、CTLにがんを殺す力が無ければ、どんなにCTLを加えてもグラフは横ばいということになりますから・・・嗚呼、誘導されたCTLは、CEAを発現しているがん細胞(MKN45)を明らかに殺しているけど、CEAを発現していないがん細胞(GT3TKB、Hpt.10)は、いくらCTLを増やしても殺していません。なるほど、確かに誘導されたCTLはCEA特異的に機能しています。

講師:そうだね。少し付け加えるならば、誘導されたCTLは、グラフの傾きが直線であることからもMKN45を一定の割合で殺すことができること・・つまり、CTLの割合を増やすと、より多くのがん細胞を殺すことができるといったことも見て取れる。

医学生:あっ、自家がんワクチン療法の“キモ”という意味がわかった気がします。ホルマリン固定後のがん細胞でもCTL誘導の十分な抗原性を維持しているということであれば、当然ホルマリン固定されたがん組織でも同じ様に考えればいいわけですから、患者さんから摘出したがんをホルマリン固定したものでCTLを誘導すれば、そのCTLはその患者さんのがん治療に使えるのではないか、となるわけで・・・それが自家がんワクチンの開発に繋がっていった・・・ということですね。

講師:そういうこと。そして、研究を進めていくうちにさらに興味深いことがわかってきた。ここまで、ホルマリン固定したがん細胞にも、がん抗原が残っていることを話してきたわけだが、さらに、がん抗原として認識される場所の「数」について興味深いことが発見されたんだ。

医学生:がん抗原として認識される場所の「数」??どういうことでしょうか?

講師:調べてみたところ、がん抗原として認識される場所が腫瘍の中にはメチャクチャ沢山あるのではないかという話になった。今回の実験系で使用したCEA(がん胎児性抗原)という腫瘍マーカーはタンパク質の一種になるのだが、まず、そのタンパク質というのは20種類のアミノ酸の組み合わせから出来ているというのは知っているよね?

医学生:あー、そういえば、高校の生物学で習いましたね。

講師:そして、2-50個ほどのアミノ酸が結合したものをペプチドというのだが、がん抗原は、抗原提示細胞に取り込まれた後、9-15個のアミノ酸からなるペプチドに分解され、このペプチドを目印としてCTL(細胞傷害性T細胞)が誘導されるんだ。要は、細胞性免疫反応におけるがん抗原の本体は、がん抗原タンパクの中のペプチドということになる。

医学生:はいはい、ペプチドも思い出しました。アミノ酸が繋がった短い鎖みたいなものでしたね。

講師:そうそう、この話の理解に必要な基礎知識は高校生物学だよ(^^)
そして、今回利用したホルマリン固定されたCEAタンパクからも、よくよく調べてみれば、実は多数のがん抗原ペプチドが壊れないで発生しており、個々のがん抗原ペプチドに対応して誘導された多種のCTLクローンが、この誘導されたCEA関連CTLには含まれていたんだ。つまり、CEAタンパク1つから、1種類ではなく、多種のCEA関連CTLが誘導されていたということだ。言い換えれば、もともとのCEAタンパク由来の多数のがん抗原ペプチドはホルマリン固定処理されても壊れないで抗原として機能したため、多種類のCTLクローンが誘導されたということだ。(次図:CEAタンパク全体の赤色オレンジ色の部分ががん抗原ペプチドとして機能します。ですから、1つのCEAタンパクから10種類のCEA関連CTLが誘導されることになります。)

このように、がん患者自身のホルマリン固定がん組織そのものを丸ごとそのままがんワクチンのがん抗原として使うからこそ、その患者さん本人特有の膨大な種類のがん抗原を極力もらすことなく有効利用できることになる。人の身体の持つCTL誘導能力をフルに活用することになるため、より強力な制がん効果への期待が高まることになり、この点が「自家がんワクチン」の他の免疫療法にはない最大の特徴といっていいだろう。

医学生:いやー、がん組織の中の膨大な種類のがん抗原ペプチドが治療として利用されるという話の展開に驚きです。ホルマリン固定標本を“スルメ”などと見くびってすみませんでした。ホルマリン固定標本って、すごいポテンシャルを持っているのですね。

講師:そのとおり。生(なま)標本ではなく、ホルマリン固定標本を使用するがゆえのがん治療戦略上の優位性があると思っておる。ホルマリン固定標本を“スルメ”と見くびることなかれ、だよ。

【補足】「抗原」・「抗体」・「がん抗原」・「がん抗原ペプチド」とは?

まず、体内に侵入してきた“異物”を「抗原」といいます。人間の体内に「抗原」が侵入すると、免疫系が刺激され、その「抗原」の特徴を覚えて攻撃する役割を持った「抗体」というタンパク質を作ります。そして、がんに存在する特有のタンパク質などを「がん抗原」と呼びます。このがんに特有なタンパク質を体が“異物”、つまり「抗原」として認識するため、免疫系が刺激され、そのがん細胞を攻撃することになります。さらに、タンパク質が細かく断片化されたペプチド(本文参照)が「抗原」として機能する場合、「がん抗原ペプチド」という表現を使います。まぁ、「抗原」も「がん抗原」も「がん抗原ペプチド」もすべて、免疫を刺激する「素(もと)」という理解でいいでしょう。

医学生:自家がんワクチンが、個々の患者さんの腫瘍組織中の膨大な種類のがん抗原を利用するというコンセプトの治療法であることはわかりましたが、そのがん抗原の中にはネオアンチゲンも含まれているという理解でいいですか?

講師:おっ?ネオアンチゲンと来ましたか。良い質問だね。

医学生:ヘヘッ、免疫療法領域のキーワードですので、一応おさえておきました。

講師:ネオアンチゲンを利用した免疫療法の考え方をおさらいしておくと、ネオアンチゲンとは、もともと体内にはない変異遺伝子から出来てきた異常タンパク由来のがん抗原ペプチド故に、

医学生:自家がんワクチン療法は、自分のがん組織そのものを利用して作成するわけですから、その患者さんのがんのネオアンチゲンも含まれていると単純に考えていいのですよね。しかも、理論的には、発現しているであろう全てのネオアンチゲンを極力もらすことなく抗原として利用できる・・・

講師:理論的には、君が頭に描いている通りだと思う。しかしながら、そのことをキチンと証明するためには、ひとりひとりの患者さんのがん組織の遺伝子解析を行い、それぞれの患者さんでがん抗原となるであろうと推定したネオアンチゲンのペプチド部分が実際に抗原として機能しているかどうかを検証しなくてはならないのだが・・これは患者さん1人調べるだけでも、とてつもない労力・時間・お金がかかり、実臨床的にはとても現実的な話ではない。

医学生:確かに、ひとりひとりの患者さんについて、何十種類どころか・・もっと多く発現しているかもしれないネオアンチゲン(抗原ペプチド)をひとつひとつ細かく検証するのは無理な話ですね。

講師:そう・・そのため、自家がんワクチンにおいては、作成したワクチン中には、がんのネオアンチゲンも含有されており、それらも十分CTL(細胞傷害性T細胞)誘導に寄与しているはずだ、という観点で行われている。

医学生:まぁ、患者さんごとにネオアンチゲンは異なるわけですから、その患者さんの腫瘍組織から作ったワクチン中のネオアンチゲン全てが、その患者さん固有の抗原群として機能するだろう、という解釈のもとに行われるのはアリだと思いますが・・・

講師:うむ、細かい学問的興味は尽きないのだが、臨床的にはその考え方のもとに行われることに問題はないと思っている。実際、脳腫瘍の神経膠芽腫に対して進行中(2022年10月現在)の医師主導型第3相臨床試験は、ネオアンチゲンに関しては、そういった解釈のもとで、PMDA(独立行政法人医薬品医療機器総合機構:厚労省所管)の非常に厳しい審査をクリアした上で行われている。これは、ある意味、自家がんワクチンの特殊性が評価されたということでもあるが、長年積み重ねてきた基礎研究や臨床研究がその礎になっていることは言うまでもない。

医学生:東京女子医大、筑波大学、北海道大学、京都大学など・・・多施設参加型の臨床試験ですね。第3相試験ですから、まだまだ時間がかかるでしょうが、いい結果が出るといいですね。期待しています(^^)

講師:そやね(^^)

【補足】ネオアンチゲンとは?

ネオアンチゲン(neoantigen)は新生抗原、新規抗原、腫瘍特異的変異抗原などとも呼ばれ、がん細胞独自の遺伝子変異に伴って新たに生まれた変異抗原のことです。ネオアンチゲンは正常な細胞には発現しておらず、がん細胞だけにみられます。また、ネオアンチゲンはひとりひとりのがんで違っています。そのため、個々の患者さんのネオアンチゲンに対応した治療はその患者さんだけのオーダーメード治療になると考えられます。

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